写真:Pirelli
テキスト:伊藤英里
MotoGP第16戦日本GP
10月4日~6日/栃木県 モビリティリゾートもてぎ
Moto2小椋藍がスリックタイヤを選んだ理由
10月6日、日曜日。Moto2クラスの決勝レースのスタート時刻12時15分が迫るころ、グリッド上に並んだライダーの頭上には厚い雲が広がっていました。グリッドについた全28名のライダーは、スリックタイヤを装着している状態でした。
しかし、いざレースがスタートすると雨粒が落ち、雨量が多くなりました。チャンピオンシップのランキングトップで母国グランプリを迎えた小椋藍(MTヘルメット – MSI)は、このときスタート後の混乱をうまく抜けて5番手に浮上していましたが、「1周目に赤旗になる。転倒してもしょうがない」と考え、堅実に走っていました。小椋の読み通り、先頭集団が8コーナーを抜けたあたりで赤旗が提示され、レースは中断となります。
路面は複雑な状況でした。このときを振り返って、同じくMoto2クラスに参戦する佐々木歩夢(ヤマハVR46マスターキャンプ・チーム)は、「降ってきたときは雨かなと思ったんですが、霧雨だったんです。だから、あまり路面が濡れていなかった」と語っています。佐々木は約10分の中断を経て再開された12周のレースに向け、レインタイヤを選んでいました。
一方、小椋が選んだのはスリックタイヤで、フロントがSC1、リヤがSC0(ともにソフトタイヤ)でした。なお、小椋を含めた8名のライダーがスリックタイヤを選んでおり、同じくフロント、リヤともにソフトタイヤです。
「(スリックタイヤとレインタイヤ、どちらを選ぶべきか)まったく分からなかった。だから、チーム内でいちばん自信のある人を信じました。ノーマン(・ランク/小椋のクルーチーフ)が『スリックだろ』って言ったんです。ボクはそれに反対できるほど自信がなかった」
もちろん、不安がないわけではありませんでした。チームメイトであり、チャンピオンシップのランキング2番手につけるセルジオ・ガルシアを見ればレインタイヤを履いていたし、コースインしてみると、多くがレインタイヤなのです。
「ボクはびびってましたけどね」と小椋は言います。しかし同時に、冷静に状況を把握していました。レース再開に向けたウォームアップ・ラップで、ブーツで地面を擦って濡れ具合を確かめていたのです。
「これなら雨が止んだ瞬間に攻められる。1周目だけ抑えて走れば大丈夫だ」
小椋はそう考えました。
果たして、その通りのレース運びとなりました。レインタイヤ勢が勢いよく飛び出す傍ら、小椋は14番手に後退します。しかし2周目以降、小椋はラップタイムを上げるとともに、ポジションも大きく上げていきました。
2周目のラップタイムは、トップを走るジェイク・ディクソン(CFMOTO Inde・アスパー・チーム)が1分58秒896、小椋が1分57秒631。そして小椋がトップに立った3周目は、小椋が1分56秒681で2番手に後退したディクソンが1分58秒654。約2秒ものラップタイム差がある状況だったのです。小椋は、4周目にはディクソンに対し、4秒以上の差を築いています。
スリックタイヤで走る路面コンディションであることは明らかでしたが、リードを広げる小椋には雨の懸念がありました。「できるだけレインタイヤ勢に対してリードを広げておかないと」。なにしろ、スリックタイヤ勢は雨が降って路面が濡れてしまえば、レインタイヤ勢に太刀打ちできないのです──結果的に、それ以上雨は降らずにスリックタイヤ勢の舞台となったわけですが。
そんな小椋に、同じくスリックタイヤを履くマヌエル・ゴンザレス(QJMOTORグレシーニMoto2)が迫りました。勢いに乗るゴンザレスは、9周目で小椋をパス。小椋は抵抗しませんでした。もちろん、「2位でいい」とは思っていませんでしたが、ゴンザレスのほうがペースがいいことも事実でした。ゴンザレスが迫ってくるのが分かったとき、「2位も受け入れるしかないな」という思いがよぎったと言います。チャンピオンがかかる、シーズン終盤の大事な1戦のひとつ。しかし同時に、母国グランプリのレース。小椋の胸中は複雑でした。
小椋は、2位でチェッカーを受けました。メインストレートを走りながら、ウイリー。けれどこれは、2位への悔しさが詰まったウイリーだったそうです。クールダウンラップでは、何度も観客席に向かって両手を合わせて「優勝できなかったこと」を「ごめん」と伝えていました。
ランキング2番手のガルシアは、レインタイヤを選んで14位でゴールしています。ガルシアはクルーチーフとともにレインタイヤを選んだということですが、「そのときは雨が降ると考えたんだ。今日は正しい決断をするのがとても難しかった……」ということでした。
そんな「正しい決断をするのが難しい」状況でスリックタイヤを勧めた小椋のクルーチーフ、ノーマン・ランクはその理由について「もっと濡れてこなければ、ウエットタイヤで最後まで戦うのは無理だ、と言ったんだ」と説明しています。ランクは、日本GPを迎えた時点で小椋がランキング2番手に対して42ポイントの差を築いていることを踏まえ、「スリックタイヤでいこう」と言ったということです。
「優勝しなくちゃいけないレースだったと思いますよ」
小椋はレース後、そう語っていました。しかし、確実に2位を獲得したことで、ランキング2番手のガルシアに対し60ポイントの差を築くことに成功しました。
そして、次戦オーストラリアGPでの、チャンピオン獲得の可能性を浮上させたのです。
母国グランプリに挑んだ日本人ライダーたち
Moto2の佐々木は、タイヤ選択は自分で下したものだったということです。「完全に自分の選択ミスですね」と、Moto2ライダーとしての初の母国グランプリのレースを21位で終えたことに、残念そうに語っていました。
Moto3クラスでは、5番手からスタートした山中琉聖(MTヘルメット – MSI)が6位でゴールで、日本人ライダーとして最上位でした。
「レース序盤、(ダビド・)アロンソなどと比べたら、無駄な動きをしてタイヤを使ってしまったし、レース中盤に順位を落としてからリカバリーするのにも時間がかかりました。レース中盤から後半にかけて、ペース自体はレース中悪くなかったのですが……」と、山中は悔しさを露わにしていました。
鈴木竜生(リキモリ・ハスクバーナ・インタクトGP)は17番手スタートから7位でゴール。17番手という後方からのスタートが響きました。予選順位の改善が、現在の課題だと語っています。
「レース内容としてはよかったんですけど、予選の悔いが残るレース内容でした。予選順位を解決して、いい位置からスタートできればもっといいレースができると思います」
古里太陽(ホンダ・チームアジア)は、13番手からのスタートで9位でした。「自分のベストは尽くしたかなと思います」と、言葉少なに語っていました。
また、日本GPには全日本ロードレース選手権J-GP3クラスに参戦する若松玲が、FleetSafeホンダ – Mlavレーシングから代役参戦しました。若松は全日本第7戦岡山大会を終えて、もてぎでの優勝を含む2勝を挙げており、ランキング2番手につけています。ただ、普段J-GP3で走らせているホンダNSF250RとMoto3のホンダNSF250RWの違いに苦しみました。タイヤも全日本ではブリヂストン、Moto3はピレリで異なっています。
「みんなうまいですね。全然勝負できないし、ついていくこともできなかった。とにかく難しかったですね……」と厳しい表情だった若松ですが、「自分の課題が明確になったのはよかった」と言い、その課題を全日本でのレースに生かしたいとも語っていました。
また、日本GPで優勝したダビド・アロンソ(CFMOTO Gaviota・アスパー・チーム)が2024年Moto3チャンピオンに輝きました。ピレリタイヤのワンメイクとなったMoto3において、初めてのチャンピオンとなりました。
次戦、第17戦オーストラリアGPは、10月18日から20日にかけて、オーストラリアのフィリップ・アイランド・サーキットで行われます。
Moto2クラスでは、小椋がランキング2番手以下に75ポイント以上の差を築くことができれば、チャンピオンが決定します。