ランキング5位を獲得するも、悔しさの残った2021年シーズン

2021年の夏、岡谷雄太に話を聞いたとき、強く印象に残った言葉がある。

「勝たないと先がない。今年(2021年)はその思いだけで戦っています」

それは、レースの厳しさばかりではなく、岡谷が心に秘める覚悟と追い求めるものへの強い決意を感じさせる言葉だった。

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WSS300に参戦する岡谷雄太選手(MTMカワサキ)

2022年シーズン、スーパースポーツ世界選手権300(WSS300)フル参戦4年目を迎える岡谷のキャリアの始まりは、父親の影響で7歳ごろから乗り始めたポケバイだった。また、幼い頃からモビリティリゾートもてぎ(当時はツインリンクもてぎ)で全日本ロードレース選手権を観戦するなど、サーキットに親しむ環境にもあった。

プロのレーシングライダーになろう。岡谷がそう思いを定めた最初のきっかけは、MotoGPを見たときだ。「これを目指したい」岡谷はそう思ったという。

「2007年からMotoGPを見始めたのですが、特に(バレンティーノ・)ロッシ選手がけがから復活した2010年シーズンのことは、すごくよく覚えています(※2010年、ロッシはイタリアGPで転倒し右足を骨折する大けがを負い、その後、ドイツGPで復活を果たした)」

2018年に全日本ロードレース選手権J-GP3にフル参戦するとルーキーイヤーにして3勝を挙げ、ランキング2位を獲得。そして岡谷は、翌年について模索する。

例えば海外の選手権では、FIM CEVレプソルMoto3ジュニア世界選手権やレッドブルMotoGPルーキーズカップなどが、MotoGPの登竜門として知られている。とはいえ、一人のライダーが単身でこれらの選手権に飛び込むには、金銭的な負担が大きいのが現状だ。岡谷も例外ではなかった。

そんな岡谷にWSS300という選択肢を伝えたのが、森脇緑さん(現MIEレーシング・ホンダ・チームオーナー。父はモリワキエンジニアリングの森脇護氏)だった。岡谷は過去に若手ライダーの育成を目的としたモリワキ・ジュニアカップに参戦しており、森脇さんとはこのときからの関係性があった。森脇さんを通じてWSS300というカテゴリーを知った岡谷は、世界への挑戦を決めたのだった。

WSS300参戦初年度の2019年を経て、翌2020年には今季も所属するMTMカワサキに移籍。2020年、2021年にはライダーズチャンピオンを獲得した有力チームだ。速いライダーがチームメイトにいる、それはモチベーションになるとともに、彼らのデータが集まることでいい相乗効果をも生む。そして何より、オランダ人やベルギー人で構成されるこのチームは、岡谷の性に合っていた。

「スペイン人だから、日本人だから、と差をつけられることがなく、フェアなんです。チャンピオン獲得がかかっていたとしても、チームオーダーもありません。そこが、MTMカワサキの一番いいところだと思っています。すごくやりやすいし、公平に見てくれるのでありがたいですね」

適した環境を得て、岡谷は躍進を果たす。第3戦ポルトガルで日本人初のポールポジションを獲得。レース2で3位表彰台に上がると、第6戦カタルーニャのレース2ではWSS300で日本人として初の優勝を飾る快挙を成し遂げたのだ。

2021年も開幕戦アラゴンのレース1で3位表彰台を獲得し、勢いは続いたかに見えた。ただ、中盤に苦しい時期を過ごすことになる。他車との接触転倒もあった。表彰台に近い位置を走りながら、手が届かないレースが続いた。「序盤がよかっただけに、中盤では転倒も多かったし、なかなかゴールできない、というもどかしさがありました」と岡谷は振り返る。

しかし、シーズン終盤、第10戦スペインのレース2、そして第11戦ポルトガルのレース1で3位表彰台、レース2では4位を獲得し、シーズンをランキング5位で締めくくったのだった。

「なんとか立て直して、ランキングは2020年よりも上位で終われたのはよかったと思います。でも、タイトル獲得を目指していたので、そこにまだ遠い結果となってしまったのは悔しかったです」

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2021年第10戦スペイン(ヘレス)で、レース2で3位を獲得。表彰台に返り咲いた

見出した課題を克服し、戦い方を変えて挑む新たなシーズン

岡谷には、武器がある。WSS300の決勝レースは混戦で争われることが多く、スタートからフィニッシュラインまで、オーバーテイクが繰り返される接戦が展開されることも珍しくない。岡谷はそうしたなかで、常に冷静なレース運びを見せていた。例えば2021年シーズンには全8戦16レース中、決勝レースで4度の転倒リタイアを喫しているが、うち3度は他車に接触されたことによるもので、つまり単独での転倒は1度しかない。

「ミニバイクで走っていたとき、抜いたり差したりする間や勝てるレース展開などを、一緒に走っていた大人に鍛えてもらったんですよ」と岡谷は言う。

「全日本でも、周りより劣っているマシンでレースをしていました。不利な状況のなかでどうやって勝つのか、ということは常に考えなければなりませんでした。レースを組み立てなきゃいけなかった。勢いだけでは勝てなかったんです」

「レースを組み立てて、計算ずくで勝つのが僕のスタイルです。そういう勝ち方が好きですし、面白味を感じます。レースの組み立ては得意だなと思っているし、ほかの日本人ライダーには負けないなと思います。今は周りよりもバイクが速いから、それをうまく生かすことができれば、後方を引き離すこともできるし、うまく勝つこともできると思います。それは、僕次第ですね」

そうした強みに加え、岡谷は2021年を経て大きく分けて二つの改善ポイントを見出していた。その一つはライディングの改善だ。

「昨年は、スキル面で足りなかった部分があると感じることが多々ありました。右コーナーのスライドがあまりうまくいっていなかったんです。(チームメイトでチャンピオンを獲得した)アドリアン(・ウェルタス)は、右コーナーでも左コーナーでも自在にスライドできて、ブレーキングで止めるのがうまかった。それから、ブレーキングでコーナリングに入っていくときの倒しこみの速さですね。そこが差だなと感じていました。オフシーズンにひたすらバイクで走り込むことで、その両方を改善できたんです」

 そしてもう一つはシーズンを通したチャンピオンシップの戦い方だった。「コンスタントにシーズンを戦うことが重要。昨年はあまりにも優勝にこだわりすぎていたんです」

 ライダーは1戦、1戦のレースで最高の結果を手にするために戦い続けているのと同時に、チャンピオンシップのために戦う。そして、シーズンの終わりに頂点に輝くためには、シーズンを通じて全てのレースで安定した結果を残すことが何よりも大事な要素となる。

「今季は、後方を引き離して勝つレースがしたい。そういうレースをするのが理想です。それができれば周りの評価も変わりますからね。もちろん、全戦でそういうレースをするのは難しいと思います。今季の一番の目標は、厳しいときでも最低限の結果にとどめ、全戦表彰台を目指しながらも、勝てるときに勝つことです。まずは1戦、1戦に集中して表彰台、優勝争いができれば理想だし、その結果、最後の最後でチャンピオンを獲れるところに来たときにしっかりと獲りにいく、というスタンスでありたいと思っています」

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混戦のWSS300で勝つために、岡谷は今季に向けて自身を成長させた

2021年の反省とオフシーズンに重ねた時間、そしてすでに持つ己の武器によって、岡谷雄太は2022年シーズンをさらに力強く戦っていくことだろう。

■岡谷雄太が語るピレリタイヤ

「WSS300で履いているタイヤは、ニュータイヤのときにはちゃんとグリップして、タイヤのライフは短くはなく、グリップがゆっくりと落ちていく感じです。市販されているタイヤで言うと、元々のグリップ力が高いから安全なんです。そもそものグリップ力が高いから、バイクのフィーリングがよりナチュラルに感じられます。タイヤがいまいちだと、よくないのはタイヤなのかバイクなのか、わかりづらいでしょう。でもピレリを履いていると、タイヤは問題ないからバイクを見よう、と判断しやすい。だから、僕はピレリタイヤを周りの人にもオススメしているんですよ!」

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<プロフィール>
岡谷雄太/1999年7月12日生まれ。東京都出身
2018年に全日本ロードレース選手権J-GP3にフル参戦し、3勝を挙げてランキング2位を獲得。2019年からはWSS300に戦いの場を移した。2020年は第6戦カタルーニャ レース2でWSS300において日本人ライダーとして初優勝を飾る快挙を成し遂げる。2021年は3度の3位表彰台を獲得してランキング5位。2022年もMTMカワサキから、カワサキ ニンジャ400を駆りWSS300に参戦する。

<WSS300とは>
スーパースポーツ世界選手権300(WSS300)
量産車をベースとし、レース用にチューニングしたバイクで争われるチャンピオンシップの最高峰、スーパーバイク世界選手権(WSBK)に併催されるカテゴリー。2021年はカワサキ ニンジャ400、ヤマハYZF-R3、KTM RC390Rなどでレースが行われた。参戦する多くはスーパースポーツ世界選手権やスーパーバイク世界選手権などへの参戦を目指す、若いライダーである。