*写真協力:パワービルダー
Z1000ベースの車体に、キャブレター仕様に変更したカワサキ・ZX-10Rエンジンを載せた#70 Z1000RRに、現役国際ライダーの渡辺一樹選手を起用したエンジンチューナーであるパワービルダー。最大の敵と目されたのはスズキ・ハヤブサの1300cc水冷エンジンを、オリジナルの鉄フレームに搭載した#23「鉄隼」(テツブサ)で挑む元スズキワークスライダーの加賀山就臣選手。
「テイスト・オブ・ツクバ 2023 KAGURADUKI」(以下T.O.T.)の最高峰クラス「D.O.B.A.R. HERCULES(ドーバー・ハーキュリーズ)」は、決勝当日の午前に始まった予選から予想通り激しい火花を散らした。渡辺選手が、それまでのコースレコードホルダーである加賀山選手のタイムを上回る0分57秒台を連発して57秒390でポールポジションを獲得(ただし、渡辺選手はレギュレーションで賞典外のためレコードにはならず)。加賀山選手は2番手に甘んじた。
そして迎えた決勝レース。ここにもドラマが用意されていた。
15:25にレースがスタートすると、渡辺選手はスタートに手間取り、その間にトップに立った加賀山選手が逃げる。しかし、57~58秒台を連発しながら後方から加賀山選手を猛追する渡辺選手。そして、8ラップ目の第1ヘアピンでついに渡辺選手が加賀山選手をパスしてトップに立つ。
渡辺選手が加賀山選手を引き離して逃げにかかると思われたそのとき、7ラップ目の最終コーナーでエンジンブローしたマシンがコース上にオイルを撒き散らしたためにレッドフラッグが振られ、レースは7ラップ終了時点で中断。渡辺選手の1位奪取は、その瞬間に水泡に期した。
2ヒート目も逃げる加賀山を渡辺が激しく追う
中断後に5ラップで再開されたレースは、先ほどのレースと同様、逃げる加賀山選手を追う渡辺選手という構図で展開。コーナーで差を詰める渡辺選手に対し、バックストレートで引き離す加賀山選手。最終ラップの第2ヘアピン、ブレーキを極限まで遅らせて加賀山選手のインに飛び込んだ渡辺選手だったが、マシンを止めきれずにそこで万事休す。加賀山選手がトップでチェッカーを受けた。
パワービルダー・Z1000RR+渡辺一樹選手は、結果こそ2位だったが、それ以上に筑波に集まった大勢の観客に大きなインパクトを与えたとともに、Z1000RRの恐るべきポテンシャルの高さを強烈にアピールしたのだった。
「草レース」であるT.O.T.で繰り広げられた元スズキワークスライダーにして8耐優勝経験もあり、MotoGPへのスポット参戦経験もある加賀山選手と、現役国際ライダーで、昨年までヨシムラの契約ライダーを務め、今年は世界耐久選手権に参戦。2017年にはWSSフル参戦、昨年はMotoGPにスポット参戦と、加賀山選手に負けず劣らぬキャリを持つ渡辺選手。
この2人が、T.O.T.に集まった観客を熱狂させたレースを演出したのはパワービルダー代表の針替伸明だった。
岩崎朗+Z1000RRはトップを狙える位置に
エンジンチューナーであり、T.O.T.の常連チームを主宰。また、ピレリのタイヤ&レーシングサービスとしても20年以上のキャリアを持ち、T.O.T.に参戦するチーム/ライダーに的確なアドバイスを行っているパワービルダーの針替。
今回のストーリーは、ミニバイク時代からその名を知られた岩崎3兄弟の次男である岩崎哲郎さんの不幸な事故が端緒になった。
2020年8月、全日本選手権ST1000クラスに参戦していた岩崎選手は、練習中のアクシデントでこの世を去ってしまった。そして、その告別式の際、針替が参列していた弟の朗(あきら)に「もうレースに戻る気はないのか?」と聞くと、「いえ、哲にーの分まで走りたいです」と答えた。
10年以上、レースの場から離れていた朗は再びレースの世界に戻り、パワービルダーのZ1000でT.O.T.にも参戦を始めた。次第に現役時代の勘を取り戻してタイムを詰めていく朗に、針替は「58・5秒台に入ったら、ZX-10Rのエンジンを積んでやる」と言った。
針替の言葉に応え、朗は58・5秒台までタイムアップを果たし、それまでは非力なZ1000エンジンだったパワービルダーのマシンが、ZX-10Rのエンジンを積む現在の形になったのである。
針替と朗は、このマシンをどんどん煮詰め、先鋭化し続けた。T.O.T.のリザルトを見ると、2021年11月のレースでは4位、2022年5月は3位、同年11月は2位とトップを射程に入れるところまできたのだった。
しかし、再びの不幸が岩崎兄弟に降りかかる。2023年5月10日、スポーツランドSUGOで行われていた全日本ST1000クラスの公開テストでの練習走行中に朗が転倒、帰らぬ人になってしまったのだ。
2023年5月13、14日に開催されたT.O.T.では、パワービルダーのテント前にライダーを失ってしまったゼッケン70のZ1000RRが寂しげに置いてあった。
朗と仕上げたバイクをどうしても走らせたい
誰もがもうこのマシンは封印されると思い込んでいたが、針替は違った。
「納得できるところで終わっていない。朗と作り上げてきたこのマシンに陽の目を見せてやりたい」
そう思った針替は、現役国際ライダーの渡辺一樹をライダーに指名。渡辺もその使命を意気に感じ、契約関係などのハードルをクリアすることに奔走した。
「岩崎兄弟とは付き合いがあったし、特に哲郎さんはRS ITO時代のチームメイトでした。だから針替さんからのオファーを受けました。このマシンは、朗さんと針替さん、チームのサポーターや関係者が信じられないくらいの努力をして作り上げてきたものです。精一杯走らせたいですし、今の電子制御満載のレーシングマシンとは違ってライダーがしなければいけないこと、できることがたくさんあって楽しいです」
渡辺選手は予選終了後にそう語った。
そして、11月5日に行われた予選と決勝は、冒頭に書いたとおり。
4ストロークのキャブレター車に乗るのは初めてという渡辺選手は、急遽出場が決まったために十分なセットアップをする時間もなかったにもかかわらず、0分57秒390と加賀山選手の57秒786というタイムを上回るコースレコードを記録。多くの人が渡辺選手の勝利を予想する中、残念ながら2位という結果になった。
レース後に針替に「残念でした」と声をかけると「しょうがないんじゃない。このコースは抜けるところが少ないし。順位は重要じゃないしね」とさばさばした様子で次のように続けた。
「マシンはまだまとまり切っていなくて、いいとこ8割のでき。詰めれば6秒台を狙えるはず。長いT.O.T.の歴史の中で、58秒、57秒という新たな扉を開けてきたのはウチ。56秒台という新しい扉もウチが開けるつもりです。一樹の来年のチーム契約の関係で次のレースも一樹に乗ってもらえるかどうか分からないけど、乗れるときにマシンを詰めてもらおうと思っている」
針替と岩崎朗、そしてパワービルダーのサポーターなどの関係者が必死になって作り上げてきたZ1000RRは、渡辺一樹という新たな力が加わって、さらなる高みを目指そうとしているのである。
(文中敬称略)