みなさん、ピレリカレンダーをご存じですか? 「The Cal」と呼ばれ、世界でもっとも有名なカレンダーの一つです。例えば2020年のそれは、写真家パオロ・ロヴェルシによって「ジュリエットを探して」をテーマに撮影されました。
過去、多くの偉大な写真家によって撮影されてきた「The Cal」は、ロヴェルシにとっても大きな冒険でした。エマ・ワトソン、インディア・ムーア、クリス・リー、ステラ・ロベルシほか9名のアーティストを迎えたフォトセッションでは、それぞれがジュリエットを演じ、写真家ロヴェルシはそれぞれの表現を写真にとどめます。カレンダーというより写真家とアーティストによる文化や芸術性の高い作品といえる出来映えです。ピレリカレンダーはこうして歴史を紡いでいるのです。
ピレリカレンダーの歴史をひもとくと、その原点は1963年まで遡ります。当時、ピレリUKで広告宣伝を担当していたデレック・フォーサイスは、ピレリカレンダーの製作に乗り出します。上品で芸術的、そしてピレリブランドにとって、権威ある広告となるものとするために。
それまでも自動車メーカー、パーツメーカーから女性をフィーチャーしたカレンダーは数多くありました。中には男性向けとも言えるものも多く、こっそり見る類いのモノも少なくありません(ご想像下さい)。ミニチュアのタイヤと、その中にガラスの灰皿を押し込んだノベルティーと同等のものだったわけです(年配の方々にはお馴染みでしたよね)。
フォーサイスはヴォーグにも寄稿する写真家を起用し、ピレリの輸出先である12の地域から集めたモデルと、ピレリ製品を装着したゴーカート、リキシャ、大型の農機具などを組合せ、その前でポーズをとる構図でピレリカレンダーのプロトタイプを製作します。しかし、それが世に出ることはなくお蔵入りに。
それでもフォーサイスは諦めません。1964年向けのカレンダー製作に再びトライします。次に白羽の矢が当たったのは、当時モノクロ写真で一世を風靡していた写真家、ロバート・フリーマンでした。ロシアの首相ニキータ・フルシチョフや、ジャズミュージシャンのジョン・コルトレーンを写真に納め話題となったのはもちろん、最も有名なのはザ・ビートルズのアルバムで、4人が黒のタートルネック姿で映るあのカバーカットを撮影したその人です。
ピレリカレンダーの第一作となる1964年版、その撮影をスペインのマヨルカ島で、トレードマークでもあるモノクロ写真ではなく、フリーマンはカラーフィルムで撮影をします。8月に行われたという撮影では、島の美しい海や空、そして褐色の砂浜と、ボーイッシュなモデルが創り出す写真で、劇的に動き出した60年代のカルチャーまでも写し出していました。面白いエピソードとしては、カレンダーを企画したフォーサイスや写真家として参加したフリーマンの両名は、撮影地のマヨルカでカレンダーに登場したモデルと恋に墜ち、その後それぞれが結婚をしたといいます。
この後も多くの名作が世に出されたピレリカレンダー。2021年版は残念なことにCOVID-19の感染拡大の状況を鑑み、カレンダーの製作と発表をキャンセル。それにかえてコロナウイルスとの戦いに10万ユーロの寄付を行っています。過去にも1967年、1975年から1983年にかけてピレリカレンダーの製作が停止された時期がありました。
そして再開された次なる2022年版「The Cal」は、何とミュージシャンで作詞作曲も手掛けるブライアン・アダムス本人がカメラマンとして撮影しています。その仕上がりに期待しましょう。