写真&テキスト:伊藤英里
2024年にイデミツ・アジア・タレントカップでチャンピオンを獲得した三谷然は、
2025年にレッドブルMotoGPルーキーズカップとジュニアGP世界選手権に参戦し、
2026年、ついにロードレース世界選手権Moto3クラスにたどり着いた。
スムーズに見えるキャリア。
けれどその過去には、大きな「ターニング・ポイント」があった。
「楽しい!」とバイクを始めた三谷少年は、榛名でレジェンドライダーと出会う
2026年シーズン、ロードレース世界選手権Moto3クラスに、一人の日本人ライダーが新たにデビューします。三谷然。ホンダ・チームアジア(Honda Team Asia)からの参戦です。
三谷がバイクのレースを始めるきっかけとなったのは、3歳のときのことでした。バイクレース好きのお父さんに連れられてMotoGPの観戦に行ったとき、ちょうどポケットバイクの体験会が開催されており、そこで初めて「バイク」に乗ったのだそうです。
「最初は、ただただ楽しい! と思って(バイクを)始めました」
ホンダ・チームアジアのチームシャツを着た三谷は、そう言って笑います。快活な笑顔には18歳らしい大人と青年の境の雰囲気があり、それでいて、こちらがもっと話が聞きたくなるような人懐っこい空気をまとっていました。「僕は、ドアを開けていますよ」と。
三谷は4歳でレースを始めます。幼い時分のことですから、当時はどちらかといえばレース好きのお父さんの意向が大きかったようです。とはいえ、日本で唯一のポケットバイク専用コースである千葉北ポケバイコースに通い、レースに没頭するようになりました。
その後、子供用のオフロードバイク、スズキDR-Z50などに乗り始め、榛名モータースポーツランドに通うようになります。そこで出会ったのが、青木宣篤さんでした。青木宣篤さんは、言わずと知れた青木三兄弟の長男。1990年代から2000年代にかけて、WGPライダー、MotoGPライダーとして活躍し、スズキのMotoGPマシンのテストライダーも務めたレジェンドです。
「アオキトレックスポーツクラブという、(青木宣篤さんが主宰する)レーシングクラブに入ったんです。宣篤さんはプロ中のプロ、レジェンドライダーですから、そこでいろいろ教わってきました」
このとき、三谷が「監督」と慕う青木宣篤さんと出会ったことが、振り返れば、大きな「ターニング・ポイントの布石」だったのかもしれません。
2023年終わりに迎えた大きな転機
レーシング・ライダーとしてのキャリアのなかで、成績が奮わないことや環境などにより、「もうレースをやめなければならないかもしれない」、そんなときが何度もありました。しかし、三谷はその度に「バイクがなくなったら、僕って何もないな」と感じ、どんどん「バイクが好きだ!!」という思いが強くなっていったのだそうです。
「今は、(バイクを乗りに)行かないとアレルギー反応が出るぐらいバイクが大好き」と、三谷は屈託なく笑います。
そんな三谷に、「もう、本当にバイクをやめなければいけないかもしれない」という大きな決断のタイミングが訪れます。2023年シーズン終了後の、オフのことでした。
2023年のオフシーズンといえば、イデミツ・アジア・タレントカップ(現イデミツMoto4アジアカップ)の1年目を終えたタイミングです。イデミツ・アジア・タレントカップは、アジア、オセアニア地域での若手ライダー育成を目的とした選手権です。ピレリとドルナ・スポーツによって推進される、若手育成のプラットフォーム“Road To MotoGP”の一環で、開催サーキットは日本以外のアジアとなります。
イデミツ・アジア・タレントカップの1年目、三谷は優勝こそありませんでしたが、2位を3回、3位を3回獲得して、ランキング5位を獲得しました。それでも、十分な成績ではなかった、と三谷は言うのです。
「僕は小中高と学校に通って、今も大学に行っていますが、そのときまではバイク1本に絞りきれていなかったんです。もちろん僕の気持ちとしてはバイクが一番ですけど……」
「そんなときに、イデミツ・アジア・タレントカップの1年目にランキング5位で、それほどよくなかったんです。毎年、僕は『今年1年が一番大事な年だ』と思ってシーズンを始めてきました。でも、結果があまり出せなかったのは、そのときが初めてだったんです。経済的な状況を含めた様々な条件が重なって、『やめなくちゃいけないかも』という感じでしたね」
イデミツ・アジア・タレントカップからは、「2年目参戦のチャンスはあります」と連絡がありました。しかしそれでも、三谷はこのときの「ランキング5位」に、キャリアに幕を下ろす選択肢を考えたのです。
「やめるか、続けるか」。悩んだ三谷は、「監督」と慕う青木宣篤さんに相談をしに行きました。迷う三谷に、青木宣篤さんは、話し始めにきっぱりとこう言ったのです。
「いや、続けるしかないでしょう!」と。
「そう強く言ってくれたんです。『いろいろサポートもするから』と言っていただけて。アオキトレックスポーツクラブに入っていなかったら、僕は、もうバイクを続けていないと思います」
青木宣篤さんに強く強く背中を押された三谷は、2024年もイデミツ・アジア・タレントカップに参戦。そして、7勝を挙げて他を圧倒し、チャンピオンに輝いたのです。
2025年には、レッドブルMotoGPルーキーズカップとジュニアGP世界選手権(現Moto3ジュニア世界選手権)に参戦。2026年、ロードレース世界選手権Moto3クラスへのデビューを果たします。
まさに、2023年のオフシーズンは、三谷のレーシング・ライダー人生における大きな大きなターニング・ポイントだったと言えるでしょう。
三谷は、そんな「ちょっと過去」を「めちゃくちゃ迷いましたね! 大みそかまで、家族で夜が明けるまで話し合って……」と、朗らかに笑いながら振り返るのでした。

大学に通って得た知見
先に述べた通り、2025年、三谷はレッドブルMotoGPルーキーズカップとジュニアGP世界選手権に参戦しました。この二つは“Road To MotoGP”の一環であり、MotoGPへの登竜門とも言える選手権です。ヨーロッパで開催されており、各国から世界を目指すライダーが集まってしのぎを削っています。そんな二つの選手権に参戦しながら、同時に、三谷は日本大学のスポーツ科学部に通っていました。
もちろん、選んだ学部には理由があります。「バイクレースに生きること」を学ぶためです。
「イデミツ・アジア・タレントカップの2年目、チャンピオンを獲得した年は、ずっと減量をしていたんですよ。体重が軽い方が有利ですから。でも、変な減量だと貧血や立ちくらみを起こしてしまい、まったく体力がなくなっちゃう、ということがけっこうあったんです」
「これはどうにかしなきゃダメだと思って、スマホで調べたり、本で読んだりしたんです。僕のなかで、それがけっこう楽しくて。栄養学などを勉強したいな、と思うようになりました」
実際に、学んだことはレースでも生きています。
「大学で学んで一番生きたのは、ウォーミングアップの仕方ですね。その学部には本当にスポーツのいろいろな分野の人がいて、カヌーやゴルフ、サッカーや野球。団体スポーツ、個人スポーツ問わず、集まっているんですね。みんなウォームアップの仕方が違っているんですが、バイクレースは意外とそういうのがないんです」
「でも、他の競技の人たちと話したりディスカッションしたりして、『ウォーミングアップ、大事だな』と思ったんです。だから、2025年シーズンはルーキーズ(カップ)のテント前などでウォーミングアップをするようにしていました。これは、2026年以降にも生きるんじゃないかと思っています」
「心拍数を上げることもまったくやっていなかったのですが、2025年シーズンは縄跳びをしてからコースインするようにしたら、1周目からすごく楽なんですよ! こんなに違うんだな、と思って」
まさに、文武両道。大学で学び、学んだことをレースに生かす……。少し異色のライダーに見えますが、そう考えると向いている方向は一つであることがわかります。
ただ、2026年についてはロードレース世界選手権Moto3クラスにフル参戦するということで、大学はいったんお休み。「レースに集中する」のだそうです。
2025年に見出した2026年に向けた課題
2026年シーズンからMoto3クラスに「フル参戦」する三谷ですが、じつは2025年シーズンで、すでにMoto3クラスのレースを経験しています。シーズン終盤の3戦に、代役参戦したのです。そのうち2戦のポルトガルGPとバレンシアGPは、今季から所属するホンダ・チームアジアからの参戦でした。
三谷は、そこで得た2026年への課題をこう語っていました。
「2025年シーズン、後半2戦でチームアジアと一緒にレースをさせてもらいました。(古里)太陽が自分より速く、4年も経験がある先輩ライダーだったので、太陽の走りを見たり、データで比較したりしたのですが……、もう、全部が違うんですよ!」
「進入が違う。結果、その違いが積み重なって立ち上がりも近くなってしまう。そんな感じなんです。簡単に言えば、僕は進入。進入を変えるのが今の一番の課題です」
「でも、シーズンが始まる前に何が足りていないか、今、ちゃんとわかっています。そこをこの冬に修正して2026年シーズンを始められれば、少し進んだところからスタートできるかな、と思っています。今は、その課題をクリアしようと必死です」
そして、2025年シーズン終盤に代役参戦をした2戦によって、「変わった」ことがあります。それは、三谷自身の意識です。これまでは、自分のために走っていた、と三谷は言います。けれど、Moto3クラスになれば、状況は変わります。「チームとともに戦う」ことになるのです。レースは、走るのはコース上でライダーだけですが、その裏で多くのチームスタッフと関係者が尽力しています。
「僕はまだ結果を残せていませんが、タイムが1秒上がったり、ベストタイムを更新してピットに戻ってくると、チームが『よくやったな!』と喜んでくれるんです。メカニックたちも自分のセッティングが合っていたら、ある程度、喜んでくれる。それを見るのも楽しかったですし、僕が成績を残していけば、チームの雰囲力を引っ張っていける。それは太陽を見ても思いました。2026年は、それを意識してレースできたらな、と思っています」
「自分がチームを引っ張る意識ですね」と言えば、「そこまで格好いいことは言えないですけど」と照れたように笑い、けれど「いい雰囲気を作れたらな、って」とうなずきました。
大学で学んだことを実践し、2戦で目の当たりにした「世界選手権」で得た経験から課題を見出して、環境から学ぶ三谷は、まるでスポンジのようにぐんぐん「新しいこと」を吸収しているように見えます。そこには、「知る」ことを恐れず、それを楽しむ姿勢があるのでしょう。
「2025年の終盤3戦、(Moto3の)レースに参戦して、レベルがとてつもなく高いところだとわかりました。(2026年は)毎戦毎戦、何かを得て、毎戦毎戦、成長していければと思っています。例えばスタートが下でも、そこから1回も後退することがないように毎戦毎戦上がっていって、シーズンの最後に一番いいレースができれば、と思っています」
三谷は、Moto3クラスのルーキーイヤーの目標について、そう語りました。多くを吸収しながら走り続けた三谷は、1年後にはきっと今とは違う「Moto3ライダー三谷然」になっているはずです。
三谷然選手プロフィール
三谷 然(みたに ぜん)
2007年3月27日生まれ。 2023年にイデミツ・アジア・タレントカップに参戦し、ランキング5位を獲得。2024年に同選手権でチャンピオンを獲得した。2025年はレッドブルMotoGPルーキーズカップ、ジュニアGP世界選手権に参戦し、ルーキーズカップではドイツ大会レース2で2位、サンマリノ大会レース1で3位を獲得してランキング7位。ジュニアGP世界選手権ではランキング11位。2026年からロードレース世界選手権Moto3クラスにフル参戦を果たす。

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